石川県金沢市でのhappy上映会は
H25年3月20日に、
金沢市の「金沢学生のまち市民交流館(片町)」にて開催されました。
上映会直後の感想もステキなものを沢山いただきましたが、
上映会後に日常に戻ってから、
happyの視聴がなにか暮らしや生活、生き様などに
影響する部分があるのかどうかに関心のあった主催メンバーの私達は、
1ヶ月を経過してから、視聴してくださった方に、
1ヶ月を経過してから改めて感じる感想の募集を呼びかけました。
早速、ご感想をいただきましたので、掲載させていただきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
矢野さん、男性(45歳)のご感想です。ありがとうございます!
●happyを見ての感想
この映画は幸福(幸せ)について考えるいいきっかけになりました。
誰でも幸せになりたいと心の根底では考えているとは思いますが、幸せのあり方について日ごろから考えている人は少ないように思います。
映画での日本やアメリカの統計のように、豊かになりながらもそれに比例するほどの幸福感が得られていないというのがその証拠のように思います。
映画の中に、日本人のこれまでの典型的な働き方に疑問を抱くメッセージが入っていたように思います。
忙しく毎日体や心を傷つけながら過ごし、それで得られる地位や報酬などによって幸福感を得るこの状態が幸福と言えるのだろうかと。。。
その一方で、日本ではただのんびりと日々を過ごすことは幸福感をもたらさないようにも思います。日本人は、他人からの評価を強く気にする気質がありますので、なんらかの競争の勝者となり、なんらかの優越感を持てることが幸福感の必要条件のように思います。これが現状だと思います。ただ、これだと幸福感が得られるのは限られた人だけです。
また社会全体の価値観が狭まれば幸福とさせる状態がさらに限定され、不幸感を感じる人がそれだけ多くなります。結果的に社会に不幸観を持つ人が蔓延し、不幸観の強い社会が形成されてしまいます。競争の原理は必要ですが、多様性もまた必要であり、そのバランスがうまくとれていないのが今の状態ではないかと思います。
執着しないことこれも幸福感を得る条件の一つです。映画をみて思いを強くしました。
求めながらも得られないものには執着せずに、求めるなかで得られたものに満足する(ここでいう“もの”とは物だけでなく広義に人や地位や名誉なども含みます)ということだと思います。それを心から納得できる人、納得しようと努める人が幸福感を得られると思います。映画での顔を車にひかれたアメリカの女性はまさにこの幸福感を見出すことに成功しました。むしろ真の幸福を感じることができたようです。
フロー理論も納得できます。
フロー状態は確かに至福のときです。自分の生活の中でこのフロー状態がどんなとき起こるのかそれを認識することがより幸福感の多い毎日を過ごせるかということです。ただ、フロー状態で注意すべきことは、求めているフローが長いスパンで見たときの幸福に沿っているかということです。そういった基準で「良いフロー状態」の発生と持続を意識することが幸福へのキーワードだと思います。
幸せというものは感情のおもむくまま生きていたら得られるものとは考えない方がよいと思います。意識的に求めるべきものだと思います。ただし、利己的になるのは問題だと思います。自分だけの幸せを求めても結果的に幸せにはなれません。
映画の中での幸福の事例に利己的と感じさせるものは無かったと思います。自分も周囲も幸福を感じ取れるような状態を目指すことが大切なんだろうと思いました。
私は、この映画「happy-しあわせを探すあたなたへ-」を2回みました。この映画は自分のことをいろいろと考えながらみますので2回めの方がより深く考えさせられました。
そしていつか3回目もしくは続編がみれることを楽しみにしています。